幼少の頃、ジャネット・ジャクソンの影響を受け、歌・ダンスのレッスンを本格的に学ぶため小4の時に、沖縄アクターズスクールへ入校。初めて訪れた時は、金額を聞き入校を断念したが、マキノ正幸校長に見込まれ、異例の特待生待遇で入校することになる。片道1時間半の距離を徒歩で週3日通う日々を経て、自身が中学生の時に、5人組グループ「スーパーモンキーズ」のメンバーとして1992年にデビューを果たす。
デビュー当初は泣かず飛ばずだったが、安室によるリーダー体制・安室奈美恵 with SUPERMONKEYSに移行後、ユーロビートのカバーで初期ヒットを生み出す。“小室哲哉”との出会いは、1993年にさかのぼり、当時まだ無名だった安室奈美恵 が出演していたCMを見た小室がアプローチをかけたことがきっかけ(TKプロデュースの土台はこの頃から出来ていた)。そして、MAX松浦との出会いで話が具体化し、1995年にエイベックスへ移籍。
以降はソロシンガーとして活躍し、特に小室哲哉プロデュースの楽曲でミリオンセラーを含むメガヒットを連発し大ブレイク。当時、10代の歌手としての記録を次々と塗り替えた。若者のファッションリーダーにもなり、マネする女性を“アムラー”(茶髪ロングヘアー・ミニスカート・細眉・厚底ブーツなど)と呼び、1996年の流行語にもなった。自身が学んだ沖縄アクターズスクールも注目を集め、沖縄出身アーティストの先駆けとなるなど、その人気は社会現象となった。
人気絶頂期の1997年(当時20歳)に、TRFのダンサーSAMとの結婚を発表し妊娠3ヶ月であることも明らかにした際は世間に大きな衝撃を与えた。また、長男を出産し1年間の休業を経て復帰した直後には実母が義弟(安室の叔父)に殺害されるという悲劇に見舞われ、この数年間は安室にとって波乱万丈な時期だった。2002年に離婚し、現在はシングルマザーとなる。
2001年に小室哲哉プロデュースから離れて以降、R&B・HIP HOP志向の曲をリリースし、今井了介・ZEEBRA・VERBALらによるスペシャルプロジェクト「SUITE CHIC」(スイート・シーク)に参加したり、海外プロデューサーのダラス・オースティンによるプロデュース、自らの作詞など新たな一面を示す。
MTV Video Music Awards Japanでは、史上初の4年連続受賞の快挙を達成し、中でも2004年に、自身の憧れでもあるジャネット・ジャクソンがサプライズアーティストとして登場した際には、安室奈美恵 がプレゼンターとしてジャネットに特別賞(インスピレーション・アワード)を手渡し、ステージ上で安室奈美恵 &ジャネットの豪華2ショットが実現した。
アジアを中心とした海外でも高い知名度があり、台湾・韓国などでもライブツアーを行っている。
安室奈美恵 の最新情報は...
安室奈美恵 Official web site−公式サイト
エイベックスによる安室奈美恵公式ページ。ライブ情報、ディスコグラフィー、曲の試聴


